嘘でもいいから好きだと言って
ー好きだよ
もっと、もっと言ってよ
ー好きだよ、愛してる
好きだと言わせることに意味はあるのか
偽物の好きを伝えられて嬉しいのか
ーうれしいよ?
心臓がキュッと締め付けられる
痛みを伴いながら
純度100%の幸せは手に入らない
それでもいい
この感覚を求めている
それに100%の”好き”なんてそもそもないでしょ?
たとえ付き合っていても結婚していても
自分の気持ちと相手の気持ちが100%同じわけがない
いつだって気持ちの大きさには偏りがある
そう考えたら偽物の好きだって同じようなもんじゃない?
好き、の二文字でコントロールされる屈辱感
でもこの感じ、たまらない
嘘でもいいから好きだと言って
偽りの愛が最高に気持ちいい
もしかしたらこの心臓の痛みは、快感に近いのかもしれない