管理人ちゃんもりをTwitterでフォローする >>

言葉の通りの“できちゃった”は許されない

この記事は約2分で読めます。

この記事は広告を含む場合があります

できちゃった結婚のことを最近では授かり婚と言いますね。

どちらの言い方であれ、子どもができて結婚をするのであればおめでたいことです。

いわゆる“普通”の順番と反対になっただけで何の問題もありません。

子どもに対して責任を持つのであれば、順番なんてどっちでもいいと思います。

むしろ早めに子どもをつくることは良いこととすら思います。

年齢を重ねるほど子どもができにくくなるのは事実ですからね。

うちは不妊治療を経て第一子を授かりました。

子どもができるって奇跡。だから結婚前であれ二人に覚悟があるなら子どもをつくることには賛成です。

大事なのはその後です。

子どもができた後にちゃんと二人で責任を持って育てることができるのか。

わたしの友達で言葉の通り“できちゃった”子がいます。

友達は結婚を考えていましたが、彼の方は考えていませんでした。

結局、友達は子どもを堕ろすことに。

これが彼と十分に話し合いをせずに“できちゃった”結果です。

いい歳してどうかと思います。

いい歳していなくても、どうかと思うけど。

妊娠は女性の体に負担がかかるので、友達に加担したいところですが、わたしから見れば二人とも同じ。

そういうことをすれば、そういうことになる。

小学生でも知っていることです。

それを大の大人が無視した結果がこれです。

あまりにも無責任過ぎます。

命を何だと思っているのか。

話し合いの過程がどうであれ、まるで命をモノみたいに扱っているとしか思えません。

授かりたくても授かれない人もいるのに…

そのときの欲に負けたのか、リスクを考えていなかったのか。

“できちゃった”経過がどうであれ、無責任な行動を取った結果です。

あまりにもむごすぎます。

いまこれを読んでいるあなたがどういう立場の人なのかわかりません。

でも、もしあなたに恋人がいるのなら、自分の行動に責任を取れるか今一度よく考えてください。

タイトルとURLをコピーしました